基本情報
大阪や東京でお笑い芸人として活動をしていましたが、母親が体調を崩してしまったことをきっかけで和歌山へ戻ります。
「すみたに兄弟社」という個人事務所を立ち上げ、兄弟で仕事の獲得やマネジメントなどすべてを行いながらテレビ、ラジオ、イベントMCなどを中心に活動。
和歌山県の魅力を伝えるために、実際に和歌山県にある30の市町村へ伺うことが多いですが、和歌山のPRのために東京や大阪へ行くこともあるといいます。
普段の関係性では、ボケとツッコミは逆!?
お兄さんはもともと一緒に芸人を目指したいお友達がいたそうですが、就職が決まっており一緒に芸人にはなれませんでした。
1年程社会人としてサラリーマンをしてみたものの、やはり芸人になることが諦めきれずにNSCへ入学することになります。
入学後はなかなかコンビを組もうと思える人が見つからず、弟さんを誘いコンビを組むことになりました。
元々はお兄さんはツッコミの性格なので、友達にネタを作ってもらう予定でしたがコンビを組むことができなかったので、お兄さんがボケで弟さんがツッコミという形になったといいます。
実は、普段の関係性だとボケとツッコミは逆だそうで、なぜ今の役割かというと、、、
「弟さんの記憶力が乏しいから」
ということが理由だそうです。
弟さんがボケでネタを始めた場合、途中でネタを忘れてしまう可能性があったので今のスタイルに落ち着いたようです。
コンビを組んだがすぐに活躍できたわけではない、苦しい時代があった。上京するも和歌山へ
コンビを組んで、様々なオーディションを受け続ける日々が続きますが、すぐに活躍できるわけではありませんでした。
少しずつ力をつけていきましたが、なかなか上にあがれない日々が続きます。
そんな時に、弟さんから「東京へ行こう」と言われます。
二人で決意し、吉本を辞めて上京することになりました。
このことをインタビューで弟さんは、
「小さい事務所でも、おもしろいと思ってもらえる事務所があればいいと思った。」
とおっしゃっていました。
そして、より活躍できる場を求めて東京で事務所のオーディションを受け続ける日々が続きます。
そんな生活を続けてたある日、母親が体調を崩したと連絡が入ります。
上京しているので、離れた場所(和歌山)で暮らす母親の面倒を見るのは簡単なことではありません。
様々な葛藤をしながら、二人は和歌山へ帰ることを決断します。
この時のことをお兄さんは、
「ウケる和歌山ネタの漫才が3本くらいあれば和歌山で食べていけるのではないか?」
と思っていたとおっしゃっていました。
しかし、弟さんは、芸人を辞めて和歌山へ帰ると思っていたそうです。
今でこそ、全国どこでも芸人さんが活躍しているイメージですが当時は地元の和歌山で芸人を続けられるという発想がなかったといいます。
「芸人をやめるんだ」と自覚した途端に、初めて「悔しい」という思いが湧きあがり芸人の仕事が好きだったんだと感じたそうです。
そんな苦渋の決断をしたあと、デザイナー学校を卒業している弟さんは洋服関係の仕事を探していましたが、お兄さんから声をかけられます。
「このまま辞めてももったいないし、面白い人生にもならない、和歌山でもう一回やってみないか?」
このお兄さんからの声をきっかけに地元密着芸人への道を進んでいくことになります。
今では、和歌山では知らない人はいない芸人に!
和歌山市だけではなく、和歌山県の市町村すべてを回ってPR活動をすることもあり、和歌山県の人でも1回もいかないようなところに仕事で5.6回は行ったと豪語するほど。
おかげで、和歌山県での知名度は抜群。
和歌山県は地元ですが、高校卒業と同時に大阪へ出たので最初は学生時代までの和歌山しか知らない状態だったそうです。
仕事で和歌山県を隅々まわることで改めて和歌山県の魅力を知ることができているそうです。
目標は和歌山県の大泉洋さんになること!
北海道のスターとして活躍し、その後に全国区の人気者になった大泉洋さん。
すみたにのお二人も将来は「和歌山県の大泉洋さん」のようになれたらと考えているそうです。
例えば、ケンミンショーみたいな番組で全国的には知られてないけど、和歌山のことをPRするにはすみたにのお二人に!という感じです。
地元に愛されながら現在も和歌山県の魅力を発信し続けているお二人が、近い将来「和歌山のスター」として名前が知れ渡ることを楽しみにしています。
すみたにWEBサイト https://www.owarai-sumitani.com/
佐々木翔子
京都府出身。イベントMCやラジオDJを中心にメディア出演し、玉井祐衣と2人組YouTuberとしても活動
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