漠然と抱いた慈善活動をする私。人脈がつないだ古着屋への道
「寄付」「ボランティア」をしたいという概念はありましたが、具体的に何を武器にどのような活動を開始しようかというのは考えていなかったと言います。
社交的な性格なため日頃の生活の中で様々な人脈が繋がり、結果として古着を提供してくださる方が見つかり、結果として古着を主として活動を開始します。
物品寄付を主として活動をされているのですが、これは自身の持病が関係していると言います。
もし持病が悪化してしまった時に、表立って活動していた自分が消えてしまう事で、支援を受けていた人たちの居場所がなくなってしまう。
このリスクを考えた時に、子ども食堂等の表だった活動も考えていたと言いますが、これをあきらめて裏方に徹するボランティア活動をする事にしました。
当初はご実家の2階で活動を開始しますが、古着が合計で4tにものぼり、築年数が経過している家では不安が募りました。また大量の古着を階段で運搬する労力も大変であったといい、急いで平屋の物件を探しました。
現在の倉庫はあいりん地区に隣接していますが、これは父母の介護が必要と考えてご実家の近くで物件を探したためで、結果としてあいりん地区という貧困関係の活動をするには最適な立地であったと言えるのです。いい連鎖が増えていきました。
ただ、はじめた当初は古着屋の知識はありません。
また、想像以上にお金以外の貧困支援は難しく、古着は想像以上に「いらない」と言われる所は多いと言います。
一般的な古着には、もちろん綺麗なものもありますが、同時にゴミ同然の汚いものもあり、行政は一定の線引きを行うため、物品支援は新品しかだめな場合が多のです。
全てのサポーターが良心的な人とは限らず、着なくなったゴミを押し付ける目的を防ぐ必要がありました。
社団法人になってから、釈迦の子では国内で発生した災害に対して支援を申し入れました。
ただ、想像以上に古着に対する信用性は低く、
「毛玉のついたボロボロの雑巾のようなものを送り付ける気だろ」と言われたこともありました。
「もし綺麗だというのならば、お金に代わるはずだから、変えてから金を送れ」
と言われるほど、物品支援の方法はとても難しいのです。
災害の被災者と貧困を一色単にするのも違う気はするものの、ひどい経験をすることで多くの学びを同時に得たのです。
本当に貧しい人にインターネットは通用しない。
「釈迦の子」としては2021年2月に活動を開始します。4月に一般社団法人となります。同時期に古着屋「ラーフラ」の営業を開始します。
もともと衣食住に困るほどの貧困となっている方の支援をしていたといいますが、行政による支援の限界を感じており、長期的な支援が中心の政策が多い行政の貧困対策が結ぶまでの間の支援が必要だと考えていました。
衣食住すべてをサポートするのは限度があるので、自身は衣服をそろえ、食と住には適切なサポートをしている場所を紹介する事をしています。
本当に貧困となってしまった人は、インターネットなどの情報が容易に得られるような環境はありません。
行政に縋ってもどうにもならなかった時に、人のつながりや噂で来た方をサポートするしか方法はのこっていないのです。
今後の活動は?
コロナの影響で変化があったといい、最近はリラックスウェアが人気だといいます。生活の変化でお出かけに必要な服や背広等に関しての出が悪くなったと言います。
今後は、店舗の軒先等への出店を行い、販売や支援を行っていきたいと言います。また就労支援を兼ねて、賃金を発生させることでサポートを行っていきたいと考えていると言います。
古着の活動は今後とも広げていきたいと考えており、車に古着を積み込んで支援を頂いている全国の方にご挨拶に行ったり、出張販売を広げていきたいと考えているそうです。
貧困で悩む方には、周りの目線を気にしている方が多いと感じているそうで、どのような状況でも構わないから、自身が楽であると感じる環境を自身で追い求めるサポートを続けていきたいと考えています。
インタビュアー:佐々木翔子
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